The Holy Night

written by 紫苑


♪ああベツレヘムよ などか独り
 星のみ匂いて 深く眠る。
 知らずや、今宵 昏(くら)き空に
 常世の光の 照り渡るを。

 謐(しず)かに夜露の 下るごとく
 恵みの賜物 世に臨みぬ。
 罪深き世に かかる恵み
 天(あめ)より来べしと たれかは知る。

〜〜讃美歌第115番 イエス・キリスト 降誕〜〜 

 その日、真澄はマヤと二人、都内の、ある教会のクリスマスミサに参列していた。
日曜日がちょうど降誕祭にあたる巡り合わせの年であった。主日礼拝が、降誕節にあたった。何年かに一度の幸運な日である。

 パイプオルガンによる前奏の奏楽があり、礼拝は聖歌隊のプロセッション(入場)から始まった。
粛々とした静謐のなか、集う人々には降誕節の喜びと信仰の恍惚が、無言のうちに満たされていた。
石づくりの高い尖塔をもつこの歴史ある教会は、清冽な歌声が、尖塔の虚空高く長く残響する。
外国語、おそらくラテン語の聖歌の意味こそ、マヤには理解できなかったが、
信ずる人々の求道の歌声が、遠くから聞こえてきて次第に近づき、建物の空気に高くこだましていく残響には
全身に痺れるように鳥肌が立ち、涙がじんと滲んだ。人が心から感動を受けたときの自然の反応である。
傍らで真澄は、一心に何かを思い詰めたように、こうべを垂れている。
神父が開会招詞の聖句を述べ、式が始まった。
聖句ごとに、聖歌隊が典礼のミサを諄々と歌い継ぐ。
厳粛にして潔らかな、唯一無二の時間が流れていく。


 2年前。『紅天女』本公演の初日、舞台の上で、マヤは月影千草のそれのように、天啓を受けていた。
千草からは“宇宙即我なり”と教えられていたが、マヤにはそれは違う形で訪れた。
突然目の前が真っ白になり、強烈な光がマヤの眼を射た。他ならぬ真澄が客席で観劇している。
その真澄の“存在”そのものが、マヤに迫ってきていた。光輝く一瞬、マヤの魂の手は、真澄の魂の手を取り、互いに手を取り合った。
そのまま天高く二人は融合して、遙かに“現在”の次元から逸脱して孤高の極限へと登り窮めたのだった。
“魂の片割れ”をマヤが得た瞬間であった。

 舞台、というこの極限的限定的な、かつ無限の可能性を秘めた表現空間では、演技者はまま、そのような霊的な経験をする。
マヤにとっては、その後の『紅天女』を決定的に方向づける、それは天啓であった。

 舞台とは、生き物である。毎公演間毎公演同じ事の繰り返しのようであっても、その時の観客や演技者の心理状態によって、
毎回毎回がその一回限りで違ってくるものだ。マヤの『紅天女』も、3ヶ月のロングランの間、日々複雑な変化と殊更な上達を繰り返していった。
中日と千秋楽には、真澄が来ることになっている。中日のマヤの『紅天女』は、初日とはまた違った味わい深さと神聖さを増していた。
千秋楽の3日後には、真澄の鷹宮紫織との結婚式が迫っている。その現実を踏まえてなお、マヤには真澄という“魂の片割れ”がいる。
どんな現実も、マヤのこの確信には何ら障碍とはならなかった。

千秋楽、真澄の観劇するなか、マヤはみごと初の『紅天女』を全うして、演じおおせた。
カーテンコールで、マヤは客席の真澄とひと刹那、視線を合わせた。
それだけで、分かたれようのない絆が、そこに生まれていた。
現実的には、上演権所有者とその管理者という結びつきだったが、互いの想いを確かめ合ったうえで、純粋に精神だけで、二人は結ばれていた。
北島マヤ、『紅天女』は、その日、演劇界の至宝となった。

 3日後、真澄は紫織と華燭の典を挙げていた。殺到するスケジュールの中、マヤも列席していた。
ひとつの大きな過酷な試練を乗り越えたマヤは、ただ、真澄の現世的な幸福を祈って、その席に居た。
マヤには、それで充分だった。

 真澄の方は、マヤが得た境地には至れず、剥き出しの現実に、ただ己の全力で対処するだけだった。
その日の夜、これは政略結婚である、と真澄は紫織に宣言した。
表面的には、鷹宮の名に恥じぬ妻として大切にはする。
だがそれ以上は何も自分には求めないでくれ、と、真澄は宣告した。
理由は紫織がよく知っている筈だ、とも。
 
 鷹通と提携した事業展開に、真澄の仕事はそれまで以上に多忙苛酷を極めた。
夫妻で同伴する公の場では紫織を伴ったが、住居では、真澄は殊更に紫織と接触しなかった。
寝室を共にすることもない。
業務の多忙と、マヤの演劇界での活躍が、真澄の精神の平衡ををかろうじて保っていた。

 一方紫織の方は、自ら招いた結果とはいえ、不遇な結婚生活と孤独に耐えかねて、神経を病み、精神安定剤と睡眠薬を多用するようになっていった。
これは、心臓を酷く弱くする。
 1年半も過ぎる頃、紫織の虚弱な心身は、自らの現実に拮抗することの限界を迎えていた。
ある早春の早朝、眠れずに明かした夜の明け方散策に出て、冷え切った身体で戻り、朝風呂に入ったところで、紫織は心筋梗塞で、不帰の人となった。
わずか27歳にして、紫織は夭折した。
残酷な神は、そのように支配する。

 これには、さすがの真澄も、冷徹の仮面は被り切れなかった。
マヤの母親の時と同じ。
俺が、殺した。
俺は、罪人か。

 真澄は、以来、絶望的な罪悪感に始終囚われるようになった。
なにゆえ運命とはそのように人を玩ぶのか。
何故人は、そのように結果を受け入れねばならないのか。
そもそも、人とは、そのように罪作りなものとして生まれついたものなのか。

 真澄は、内面で、救われがたい苦しみを舐め尽くしていた。

半年余りと少し経って、最初の衝撃がようやく和らいでくる頃、真澄はふと思い立って、マヤを誘った。
クリスマスは一緒にいてくれないか。

 マヤは真澄の苦衷を思いやって、一も二もなく快諾した。
そして、その年の12月25日がやってきた。
礼拝に行こうと催促したのはマヤである。亜弓を通じて、ハミルから多少のヨーロッパのクリスマスのあり方を予備知識として知っていたからである。

 一同起立して、讃美歌が歌われる。
普段の集会者以外の真澄とマヤは、他の多くの一般参会者に混じって起立する。
三百人ほどの合唱は、会堂にうつくしく響き渡った。
その美しさには、真澄には何か救われるような思いがする。
人々に混じって、一参会者としてただ其処にいるだけで。
主の祈り、信仰告白、と礼拝は進んでいく。詩篇交読では、詩篇第51篇があてられていた。
「ああ神よ、願わくば汝の慈しみによりて、我を憐れみ、汝の憐れみの多きによりて、我が諸々の咎(とが)を消したまえ。
 わが不義をことごとく洗い去り、我を我が罪より清めたまえ。我はわが咎を知る。わが罪は常にわが前にあり。
 見よ、われ邪曲(よこしま)のなかにありて生まれ、罪にありてわが母われをはらみたりき。
 願わくはみ顔をわがすべての罪よりそむけ、わがすべての不義を消し給え
 ああ神よ、わがために清き心をつくり、わがうちに直き霊を新たにおかせ給え」
ふだんキリスト教には全く縁のない真澄も、これにはじかに心まるごと叩かれたように、胸打たれた。
真澄の心中そのままの句であったからである。
祈祷には、二人は集会者同様に、手を組んで、目を閉じた。
神父の声は、不思議な敬虔さと清らかさを持ち合わせていた。聞き入ると次第に心洗われる。
聖餐式が始まった。招かれていた外国の少年合唱団の団員が、神父から聖餐のパンを与えられる。
目の前で行われる未知の儀式に、二人は黙って見入っていた。さらに特別祈祷が行われる。
 そして、このクリスマス礼拝の日に洗礼を受ける、恵まれた数人の洗礼式がとり行われる。
神父から聖水を受けた、まだごく若い少女の瞳から、一筋涙がこぼれ頬を伝った。
真澄は、その涙の意味が、直感的にわかるような気がした。
 招かれた少年合唱団の合唱が、さらにうつくしく、会堂に残響した。
独特の頭声発声の、ア・カペラ(無伴奏)合唱であった。
これを聴くだけで、心身ともに清められる気がする。
再び一同起立の讃美歌が歌われる。第324番。
「主イエスは救いを求むるこの身に 豊けき恵みを注がせたまえり。み恵み受くべき勲(いさおし)無き身を かくまで恵みて救わせたまえり。
 いよいよわが主を愛せしめたまえ。」
宗教情緒とは、人間の根本点にある感受性を刺激する。
理由もなく真澄もマヤも、言葉と音楽とに心満たされていった。
なぜ一つの宗教が、多くの人間に「信仰」され、2000年の長きに渡って生き永らえてきたのか、
真澄には理解できるような気がした。
イエス・キリストは人類の全ての罪を代替えして十字架にかかった。よって、そのイエスを救い主として信仰することで、個人の罪は赦される。
それが教義であるが、それとは知らずにも、真澄には信仰とは何か、人の罪とは何か、救いとは何か、愛とは何か、が式の進行とともに次第にわかり始めていた。そして、己の身を思った。
傍らにマヤがそっと寄り添っている。
人とは、許されるものなのだ。
いかな罪人であろうが。
罪を代わりに背負ってくれた人間がいたために。
ならば俺もまた、救われる人間の一人ではないか。
苦悩も受難も、感謝して受け入れようという姿勢。そんな心根があろうとは、真澄は知らなかった。
「すべては神のみ心のままに」委ねるという、無我の姿勢。
これだ。俺の求めていたものは。
 紫織との結婚、そして葬送訣別以来、背負ったものの大きさに苦しんできた真澄の荒れ狂ってきた胸中は、しだいに安らかに穏やかに清められていった。
そして傍らには、愛してやまぬ女性が居る。
自分は不幸だ、と思っていた。
だが、それは誤謬であり、不幸も幸福も、全ては人智の及ばぬ処でとり行われることなのだ。
自分はただ謙虚に、それを受け止めてさえいればいいのだ。
そう思うと、真澄は背負った全ての重荷が、肩から降ろされたような、解放感と安堵感を覚えた。
そして深く溜め息をついた。
マヤは、それに気づかないふりをした。
速水さん……。よかった……。
マヤには真澄の心の動きが手にとるようにわかる気がした。

 礼拝は終わりに近づいていた。一同起立して高らかに頌栄(しょうえい)が歌われ、祝祷が祈られた。
着席して、パイプオルガンによる後奏を聴く頃には、真澄は何か別人にもう一度生まれ直したような気がしていた。
今日、ここに来られてよかった、と心の底からしみじみ真澄は思った。
マヤは、これを見通してでもいたのだろうか……。
 
 クリスマスミサ、降誕節の主日礼拝は、人々の喜びとともに終えられた。
会衆はゆっくりと教会堂の外へ三々五々に散っていった。
ちょうど正午過ぎ。教会では、午後も親睦会を催すとのことで、人を集っていた。
マヤはこれにも真澄を誘って、出席することにした。

 簡素な昼食が配られる。
あらかじめ招かれた教師によって説教があり、あとは集会者の自己紹介やら無邪気な遊びのゲームやらが和やかに進んだ。
ここでは、誰も北島マヤと速水真澄を知らない。これも二人には気楽だった。
ひとしきり懇談も済んだところで、再び信徒による祈祷があって、解散となった。
午後4時近くになっていた。

 
 「さて、こんどはどうするんだ?お嬢さん?」
車の助手席のドアを開けてやりながら、真澄はマヤに訊いた。
 「速水さんはどうしますか?」
 「質問に質問で答えるのはずるいぞ」
真澄は笑った。
ああ、速水さんのほんとうの笑顔だ、マヤはそれを心から喜んだ。今日は正解だったのだ。
 「ちょっと車を走らせるか」
しばし、ドライブということになった。
4時半過ぎにはすでに黄昏が近づいてくる。
日曜なので師走も末の割りには首都高は空いていた。
通りすがる街並みに、ネオンが灯り始める。
車の中で二人はただ黙って、走り去る風景に目をやっていた。それで充分だった。
第三京浜へのきついカーブを曲がって、車は第三京浜から横浜へ向かう。
真冬の黄昏は高速道路からくっきりと見えた。

 横浜中華街で、真澄は車を停めた。
 「横浜は君の出身地だったな」
 「ええ、そうです。懐かしい。」
中華街の知る人ぞ知る店で、二人は食事をとった。
 「今日はよかったよ。君はよくあんな所を知っていたな。」
 「亜弓さんが知っていたんですよ。私は教わっただけ。」
 「なるほど、もっともだ」
 「ええ、ええ、どうせそうでございますっ」
目を合わせて、二人は笑った。
 再び車で出る。港回りをひととおりぐるりと一周すると、真澄は再び高速に車を向けた。
 「伊豆に俺の別荘がある。これから行くが、いいね?」
いいも悪いも、もうマヤはその行く先の車に同乗してしまっている。
 「速水さん……」
高速道路で、真澄は車のスピードを上げた。
警告音が鳴る。
マヤは少し臆したが、胸高鳴るときめきを感じた。時速140キロ。
夜の中、疾駆する車には、テールランプが次々と眩しい。
風景が矢継ぎ早に流れていく。
次から次へとハンドルを切って追い越しをかける真澄を、マヤは素敵だと思った。

 別荘に明かりが灯る。急いで真澄は暖房を入れる。
 「寒くないか?」
 「大丈夫です。」
 「そこに掛けていてくれ。コーヒーでも入れてくる。」
 「速水さんが?」
 「そうだ。ここではいつもそうだよ。」
珈琲の香りが香ばしい。二人きり、という開放感もある。しぜん、ふたりはくつろいでいた。
 ソファに座るマヤに真澄は並んだ。
 「俺は長いこと、苦しかったよ。それが今日は、君のおかげだ。楽になった。信じられないほどだ。」
言って真澄は背もたれに身体を投げかけた。 
 「役に立った?」
 「ああ、そういうことだ。」
 「ずっと速水さんに守られてきたのは私のほうだったから。速水さんのために何かしてあげたかった」
 「不思議なところだな、ああいう場所は。」
 「俺は初めてだったよ。」
 「それはだって、鬼社長ですからね。世間も狭くなるんじゃないんですか。」
フッと真澄は笑った。
 「一人前の口をきくようになったものだ。君とは長いつきあいだが。」
 「紅天女で、たしかに自分でも自分が変わったと思います。」
 「……ああ、その通りだ。」
沈黙が流れても、いっこうに不自然ではなかった。ただ、やさしい、暖かな、許し合った空気が、二人の間にあった。
真澄はしばし考え事に沈んでいたようだった。マヤは黙ってそばに居る。
 「速水さん」
 「あ?、ああ。すまない」
 「私、今日はここに泊めていただけるんですか。」
 「……俺と、同じベッドでならな。」
慎重に、真澄は口にした。そしてマヤの顔を覗きこんだ。
マヤは返す言葉は失ったが、拒みはしなかった。
見交わす瞳に、しだいに熱がこもる。
二人にとって、文字通りの聖夜、聖なる夜が始まろうとしていた。
 「私、がクリスマスプレゼント?」
 「今日はキリスト生誕の“特別の日”だからな。」
教会で聴いたアデステ・フィデレス、『神の御子は今宵しもベツレヘムに生まれたもう』の旋律が二人の耳に聞こえてくる。
 「俺と君にとっても、特別の日でありたい。嫌か?」
 「……いいえ、いいえ速水さん。」
 「私、私を捧げるなら、速水さんだけに、ってずっと思っていました……。」
 「…マヤ……。」

今宵、マヤは真澄によって、新しいマヤに誕生する。
今宵、真澄も、マヤによって新たな一歩を世界に踏み出す。
聖別された、一夜である。
二人のこの夜に、この夜の二人に、とこしえに恵みの神の祝福があるように。

 その夜、真澄のダブルベッドで、長の年月と幾多の障壁を乗り越えて、二人は初めて結ばれた。
魂の絆、そして血の通う肉体を持ったいのちある人間としての、確かな絆を二人は築いた。

限りなく聖なる、夜であった。

互いに二人は感謝しつつ、この夜のひと時を二人だけで過ごした。
この先何が待ち受けようとも、生涯二人はこの夜を決して忘れないであろう。

二人の、聖夜であった。

“讃美と誉れと栄光、力あれや みくらに居ます神と子羊に しかり、アァメン”(ヘンデル『メサイヤ』最終曲) 

"Blessing and honour, glory and power,
be unto Him that sitteth upon the throne,
and unto the Lamb for ever and ever.
AMEN,AMEN"
(Handel "MESSIAH" The last piece)

FIN